目次
はじめに
「青春」って、きらきら輝いていて綺麗で、他の何にも代えられないようなかけがえのない時間。
イメージするのは、制服着たまま友達と遊びに行ったり、学校祭のためにクラスの皆で何か準備をしたり、部活動に本気で挑んだり。
笑ったり泣いたり、楽しかったり悔しかったり、そのどれもが充実している日々を「青春」と呼ぶような気がする。
私にも、そんな青春が……ってあれ。
制服は無いし、学校祭も私何もしてないし、部活もそれっぽいこと何もしてなくない?
例えば高専じゃなくて高校に通っていたら、限られた3年間という時の中でいろんな行事と受験勉強を平行しながら充実した青春を送れていた?
もしかして高専生って青春するのに向いていないんじゃない!?
そんなことを思った高専一年生の私。
特に高専に入学したことは後悔していないし、そもそも多分高専だとか高校だとかじゃなくて私自身の過ごし方に問題があったのですが、当時の私はそんなことに気付かず、イメージした“きらきら”が無いのは高専生だからだと思っていました。
しばらく私の中にあった「高専生は青春できないのか問題」。
もしかしたらいるかもしれない同じことを考えている高専生へ、それから高専生活って楽しくないなあなんて思っている高専生へ、今回は高専生の青春についての記事をおくります。
そもそも「青春」とは
若い時代を四季の最初である「春」と表現したもの
国語辞典で「青春」という言葉を調べると、「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代」と書かれています。
つまり青春とは、長い人生を一年としたとき、若い時代を四季の最初である「春」と表現したものと言えます。
ちなみに「青春」という言葉は古代中学の自然哲学「陰陽五行説」からきています。
陰陽五行説は中国の戦国時代(紀元前400~200年)に成立したと言われていて、そこで「青春」は「朱夏」「白秋」「玄冬」と共に年代別の人間のライフサイクルを構成する言葉として扱われています。
英語では日本語で言うところの「青春」をどう表現しているのかを調べてみると、”youth” ”adolescence” ”the springtime of life”などという言葉が使われているようです。
ここの記事でいう青春の意味に一番近いのは”the springtime of life”でしょう。
人生を一年とし、若い時代を春に例えているところが日本語の意味とほぼ同じで、海外にも「青春」という表現があることがわかります。
特別なことでなくても、今のすべてが青春といえる
人生を四季に例えた言葉が日常で当たり前に使われていることって、すごく綺麗なことだと思いませんか。
私はこの語源を調べたとき、素直にすごく綺麗で素敵だと思いました。
なぜ青春は、このような素敵な言葉で表現したくなるのでしょうか。
私が今青春と言われて思い返すことはたくさんあります。
例えば、高専生活でできた親しい友達と海ではしゃいだこと。
普段一緒にいても勉強するか雑談するかカラオケするかしかしない友達とほぼ初めて外で遊んで、すごくすごく楽しかった。
それから、受験勉強をしたこと。
学校でたくさん勉強して、将来について本気で悩んで、たくさん考えたしたくさん疲れたけど充実してた。
田舎道の散歩もしました。
進学で地元を離れると決まってから、地元の自然がもっと綺麗に見えて、地元を記憶に貼り付けておくためにたくさん歩き回りたくさん写真を撮った。
何気ない日常ですが、そのどれもが覚えておきたいなと思う特別なものでした。
それから、今しかできない体験だということにも気付きました。
広い将来について悩むことも、地元の田舎道をゆっくり歩くことも、友達と放課後に遊ぶことも何もかも今しかできない貴重な経験なのだと思いました。
そして、そんな尊い時間だからこそ「青春」は特別な表現で語られるのではないかと考えました。
四季で語られるくらいの綺麗な言葉が割り当てられるのではないでしょうか。
最後に
何気ない日々のひとつひとつが、自分の青春になるのではないでしょうか。
行事などがあまりなく、いわゆる一般的にイメージする「青春」に関われない人の言い訳だと思われるかもしれないけれど、ふとした瞬間に楽しいと感じた時間や忘れたくないと思った瞬間が、青春の1ページになるのではないかと思います。
少なくとも私は、何も特別なことが無くても青春は存在するし、自分の中の尊いものになると考えています。
私も今、まだ青春を生きています。
悩む日も、泣く日も、楽しい日も、全て私の特別な時間で、今しか経験できない時間ばかりです。
私は、明日、どのような青春を過ごすでしょうか。
どんな日でも、大切にしようと思います。
貴方もぜひ、今しかない貴方の青春を過ごしてみてください。