皆さんこんにちは!
材料学の最終成績が79点で絶望した!
函館高専ひろまるです!
(あと一点で優だったのに…無念なり!)
さて、皆さんの学校って昔はどのような雰囲気だったかわかりますか?
学生服があったり?図面はすべて手書きだったり?
今とは色々と違うのではないのでしょうか?
目次
今回はそんな“昔“の学校について、我が校のOB先生にインタビューしてみました!
本日の記事へLet’s go then!
先ずは先生紹介!
優しくて頼れてなんでもしってる機械の巨匠K.H先生!
さて、今回お話を伺ったのは我が校の機械科で40年近く教鞭をとっているK.H先生!
取材依頼をしたところ笑顔で快諾してくださりました!
ありがとございます(^^)
ここからは、そんな先生との一問一答の形式でお送ります!
質問その1 昔は学生服があったっていうのは本当ですか?
よく聞く「当時は学生服があったらしい」って噂は本当?
先生:何て言えばいいかな~服装は上が学ランで下がジーンズだったよ(笑)
あまりないファッションだったから当時は高専生だってすぐにわかったね~
髪型はどうだろう…私は4年生になってから1,2回パーマをかけましたね(〃▽〃)
そういえば当時は高専帽子なんてものがあったけど入学式に被っただけで、あとは被らなかったね…
だそうです!
高専は比較的自由な学校だという話を聞きますが、それは当時も同じだったようですね~
送迎の車で激混みする正面玄関…この日は珍しく誰もいませんでした(笑)
質問その2 留年する人や進学する人ってどのくらいの割合でしたか?
当時の留年率は?進学率ってどうだったの?
先生:当時は再試もあっただろうけど基本は駄目なものは駄目だったね。
だから私の時はクラスの約3割が留年したり退学したりしてメンバーが変わったよ。
進学は私含めて二人だね。
最初は私も就職希望だったけど技科大ができると聞いて進学に変えましたね。
就職組はオイルショックの影響で思うようにいかなかった人も多かったみたいだね。
車通学の学生が使っている裏道です!因みに雪がすごいときは通行止めになります(笑)
質問その3 これまで一番苦労したのは学生の時ですか?社会に出てからですか?
学生&教員&サラリーマン時代含めて今までで苦労したことはありますか?
先生:教員になってからだね。
実はある時から教員は博士号が無いといけない!となってね。
当時は博士号を持っていなかったから教員として高専で教えつつ休日に、朝早くから夜遅くまで大学院に通って博士号を取った時が大変だったかな。
それと高専赴任当時は学生時代の恩師がまだ教鞭をとっていたから、その点では年齢ギャップも含めて少し大変だったかな(笑)
普段は語られない貴重なお話ですね…本当にすごいとしか言いようがありません…
本校の研究室棟!地面の青い星柄が良いアクセントです!
最後に全国高専生と函館高専生へエールを!
先生:エールですか(笑)。
高専生は各々が専門知識を学び習得し、さらに5年間という長い時間もあります。
若いうちから自分がやりたい事を見つけて目標を立てて頑張ってください!
今、高専は60年の節目を迎えて変化の時が来ていると私は思います。
そんな変化にも柔軟に対応し、その変化に乗って大きく未来へ羽ばたいてください!
あとがき
いかがだったでしょうか?
今回は先生が学生であったときのお話を聞いてみました!
いざ聞いてみると60年の間に様々な変革があったんだなぁと感心しますよね…
皆さんも母校の当時について聞いてみるのも面白いかもです!
それではまた!